「馴染みたくて馴染んでんじゃねぇよ。馴染んでるつもりもねぇしな」
「この唐渓でやっていけてるって事は、家もそれなりの家柄なんだろう?」
「知るかっ」
吐き捨てる。
「どちらにしろ、君が唐渓で隅に追いやられているという話は聞かない。まぁ、その容姿なら女子生徒がほっとかないんだろうけどな。でもそれだけじゃないだろうから、結果的には君は唐渓側の生徒だね。そんな君が大迫美鶴を擁護するなんて、信じられないな」
「俺は唐渓側の人間なんかじゃねぇよ」
獣のように唸る。
「俺はどちら側の人間でもねぇ。俺は俺だ」
「どちら側の人間でもない、か」
独り言のように呟く。そんな阿部の視線に違和を感じたが、不快感は収まらない。
「教師ってのは、いつでも中立な立場にあるべきだ。学校側だとか生徒側だとか、特定の生徒に肩入れするような立場じゃねぇはずだろう?」
「若いね」
阿部は瞳を細めた。
「世間を知らない」
軽快だが無遠慮な機械音が鳴り出した。阿部の携帯。電話でもメールでもない。アラームだ。
「会議の時間だ」
言って立ち上がる。
「おい、待てよ。話はまだ終わってねぇぞ」
「話? 何の?」
「何って、美鶴を陰で侮辱したって話だよ」
「あの会話を侮辱と取るのなら、私が陰で侮辱した事には間違いないのだろうね」
「認めるなら謝れよ」
「謝る? なぜ?」
「なぜって、陰口ってのは言ってはいけない発言だぞ」
そんなモン、小学生でも知っている。だが阿部は、軽く目尻を下げるだけ。
「言われる方にも問題があるとは思わないのか?」
「なっ」
まるでイジメる生徒が、虐められる方にも問題があると開き直る時の言い訳だ。
「最低だ」
「構わないよ。最高の教師になろうとは思ってはいない。ただ給料が貰えればそれでいい」
言いながら立ち上がる。
「さぁ、ここは閉める。用が済んだら出て行ってくれ」
上着を羽織りながら歩き出し、大柄な聡の肩を掴んで廊下へと押し出す。
「噂通りだな」
「あぁ?」
「押しても叩いても何の反発も無ぇ。餅みてぇだ」
「餅?」
「あぁ、つきたての餅は柔らかくって、指で押しても痕も残らない。まるで、押されたコト自体がなかったかのようだ。アンタはそういう人間だ」
言って睨みつける。
「アベカワモチが」
挑発するように言ってやったつもりだが、悔しいかな、阿部は楽しそうな声をあげた。
「へぇ、アベカワ餅。私ってそう言われているんだ」
「嫌味も素通りかよ。打つ手無しだな」
「教師にあだ名は当たり前だろ。私も昔はいろいろとあだ名を付けたな」
聡の怒りなどそっちのけで、うんうんと思い出すように二度頷く。
「一番の傑作はチャイニー杣木。太極拳だかなんだかに凝っていた先生なんだよ」
まるで、直前の聡とのやりとりなどすっかり忘れてしまったかのよう。それとも、聡の抗議や怒りなど、彼にとっては大した問題でもないのだろうか?
腐ってる。
言葉も出せないまま、鍵を閉めて去っていく阿部の背中を凝視し、聡は拳を握り締めた。
腐っている。唐渓の教師がみんなあんなんだっていうのなら、この学校は腐ってやがる。こんな学校、転入するんじゃなかったぜ。
本気で後悔する。
何でこんな学校に入ったんだ?
それは、母親がそれを望んだから。
母。
聡に過大な期待をし、義父の事務所を継がせる事を望んでいる母親。受験生となった今年は、聡の進路を巡ってあれこれと口を出してくるのだろう。
母の望む大学への進学など、聡は希望もしていない。だがこの唐渓では、保護者の意見の方が優先される。教師は学校と保護者の言いなりだ。
教師って、そういうモンなのか? アイツ、なんでそもそも教師になんてなったんだよ?
もう消えてしまった後姿を睨む。
アイツを教えた教師って、どんなヤツだったんだろうな? どうせロクでもないヤツだったんだろう。
そこでふと、視線を落とす。
「一番の傑作はチャイニー杣木。太極拳だかなんだかに凝っていた先生なんだよ」
杣木。
珍しい苗字だ。そうそうどこにでも転がっているような名前ではない。
いや、でも。
混乱してきた頭を無造作にクシャリと掻き毟った。
アイツが、教師?
瞬きをした瞬間、背後から声を掛けられる。
「こんなところで呆けているなんて、ずいぶんと余裕だね」
少し棘を含んだ声に振り返る。瑠駆真が、微かに顎をあげてこちらを見ている。
「昨日の今日で、もう諦めたの?」
冗談だろう?
「じゃあ、お前はどうするつもりなんだ? 美鶴は?」
「もういない。さすがの彼女もこちらの行動くらい予想はできているはずだからね。終業と同時に教室を出たんじゃないかな?」
「今日は駅舎に居るって事はないのかな?」
「そう思うんなら、君は駅舎へ行ってみれば」
聡は押し黙る。
駅舎にはたぶん、居ないな。
昨日、聡が美鶴の部屋へ乗り込んだ時、出迎えてくれたのは瑠駆真一人だった。美鶴はその場には居なかった。
「逃げられたよ」
切なさを込めた瑠駆真の言葉が、聡には最初、理解できなかった。
「逃げられた?」
「ここには居ない」
「じゃあどこに?」
「それがわかっていたら、とっくに迎えに行っている」
言いながらマンションの一室でソファーに腰を下ろした。少し疲れているようだった。
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